九州史学会の歴史は、大きく1971年以前と72年以後に分かれます。

第1期

1924年(大正13年)9月、九州帝国大学に法文学部が設けられ、史学科が誕生しました。1928年(昭和3年)5月には、史学科の教官・学生を中心にして「九大史学会」が結成され、翌年5月には、第1回の史学大会が福岡日日新聞社において開催されました。同年11月には、学会機関誌『史淵』第1輯も刊行されています。1937年(昭和12年)7月発行の『史淵』第16輯は、編輯者を「九州帝国大学法文学部内九州史学会」としており、このときはじめて「九州史学会」という名称が使われました。この後、二つの名称はとくに区別されることなく用いられていましたが、1944年(昭和19年)には、ほぼ「九州史学会」に統一されました。

戦中戦後の混乱期にあっても、持続的に活動を続けていた九州史学会は、1947年(昭和22年)には、大分県佐伯市、鹿児島市、鹿屋市などを巡回するなど、九州の史学研究に大きな刺激を与えました。1949年(昭和24年)、「西日本史学会」が創設されました。翌年6月の九州史学会大会は、西日本史学会との共催で開催され、以後、このかたちが、1971年(昭和46年)の愛媛大学における両学会の合同秋季大会まで続きます。

第2期

大学紛争の混乱や、学会発足に尽力された教官の定年退官や転出が相次ぐなか、九州史学会の委員構成は大きく変わり、学会のありかたにも大きな変化が生じました。1972年(昭和47年)12月、九州史学会が、九大文学部で単独開催されましたが、公開講演二つだけで、部会報告等は設けられませんでした。このかたちが3年間続いた後、1975年(昭和50年)12月から、公開講演と部会発表からなる形式となりました。他方、機関誌『史淵』については、1976年(昭和51年)より、九大文学部の紀要と位置づけられました。九州史学会は、戦前から戦後にかけて維持されてきた会員制度による学会運営から、九大文学部に事務局を置く研究発表の場へと、大きくその性格を変えたことになります。

2004年(平成16年)からは、1日目の公開講演を全体シンポジウムへと模様替えし、独自な企画を毎年組織しています。九州史学会は、開かれた組織により、地域に根ざした学問的貢献を続けています。2018年度からは、拠点を伊都キャンパスに移し、人文科学研究院と比較社会文化研究院が共同で運営にあたっています。

【参考資料】  川添昭二「九州史学会」, 『歴史公論』 3-9, 1977年 9月 (同『中世九州の政治と文化』1981年に採録)

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